弁護士の伊東さんのブログを読んで勉強しました。「民事裁判では、真実の解明よりも紛争の解決が優先されているといえます。」だって

弁護士の伊東さんのブログを読んで勉強しました。「民事裁判では、真実の解明よりも紛争の解決が優先されているといえます。」だって…結局裁判で清水有高が負けてもOが裁判で負けても真実なんてわからないんだ。裁判所の資料を読めば読むほど「O側は証拠が弱い」とわかってしまった。

Oたちが主張してた



清水有高が莉加さんに水をかけた

清水有高がかかと落としでパソコンを破壊した

「ここから飛び降りるのか?!」と言った

にも録音録画写真という証拠なんてついてなかった。裁判所の資料についてないし、Oさんたちにメールで「録音録画写真という証拠を提出した?」と聞いても無視。(ないのだから当たり前だけど…)

証拠がないけどOは記者会見をやってる。判所の資料とOの記者会見は矛盾してることが多すぎてもう信用できない。

こんな裁判で莉加さんの死の原因なんてわからない。ちょっとは原因究明の手助けになるかもしれない。でも結局自分たちで調べて動くしかないんだ。

民事裁判の話(民事訴訟の話)

民事裁判は紛争解決のために国が用意しているサービス

http://www.shomin-law.com/m/minjisaibanmain.html

後半の方を使わせてもらいました。

紛争が解決せずに判決に至る場合でも、民事裁判での事実認定(じじつにんてい)は、当事者の主張に拘束されます。原告と被告の主張が一致している場合(多くは、片方が主張し、他方がそれを「認める」と主張したとき)には、その点(その事実)については証拠によって証明する必要はなく(民事訴訟法第179条)、原則として裁判所は当事者の(一致した)主張どおりに認定します。これも、民事裁判は、紛争がある範囲(事実認定では双方の主張の食い違い、争いがある点)についてだけ判断を示すということが原則となっているためです。

 裁判で検討の対象となる証拠も、当事者(原告と被告)が積極的に提出したものに限られます。裁判所が、当事者が提出していない(悪くいえば隠している)証拠があると考えた場合、こういう書類があるのではないですかと当事者に聞く(「釈明(しゃくめい)」を求める)こともありますが、それでもその証拠があったとしても提出するかどうかは当事者の自由です。もっとも、この点は、「当事者の行動に拘束される」とか、「真実発見が重視されていない」ということではなくて、裁判の勝ち負けに利害関係を持つ当事者に主張立証させる方がより適切な証拠が提出され、裁判官は判断者に徹した方が(「岡目八目(おかめはちもく)」って言いますし)先入観にとらわれず見落とす危険が減って、真実発見のためにより適切なやり方だと考えられているのだともいえますけど。

 民事裁判での真実の解明(真相の究明)は、これまでに説明したように、基本的には、両当事者の訴訟活動(主張や証拠提出、証人申請等)の範囲に制約された限定的なものです。特定の種類の裁判(子どもの権利が問題となるような裁判など)で裁判所が積極的に真実の解明に努力すべきこととされている以外では、民事裁判では、真実の解明よりも紛争の解決が優先されているといえます。

 判決は、判決に対して上訴できる期間内に上訴しないか、それ以上上訴できなくなると「確定」します(民事訴訟法第116条)が、判決が確定した後になって、新たに証拠が発見されたということで裁判のやり直しをしたいという人が時々います。刑事裁判の場合は、真実の解明(正義の実現)が優先されますので、有罪判決を覆すに足りる新たな証拠が見つかれば、それは再審(さいしん:裁判のやり直し)の理由となります。しかし、民事裁判では、真実の解明よりも紛争の解決の方が優先されている結果、判決が間違いだという証拠が発見されたからといってそれだけでは再審の理由にはなりません。そのようなことは正義に反すると、その新たな証拠を発見した人は思うでしょう(私のところに再審請求の相談に来る人は口をそろえてそう言います)。しかし、民事裁判は、裁判所が積極的に真実を解明する(正義を実現する)ことを目的とする制度ではないのです。ここでは、いったん解決した事件であること、その裁判手続の中でベストを尽くすことが求められていること(それが終わった後であれこれ言うのは本来的にルール違反であること)が重視されているのです。

民事裁判の話(民事訴訟の話) - 庶民の弁護士 伊東良徳のサイト


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